酒井啓子『9.11後の現代史』(講談社現代新書)

 5月15日という日が、犬養首相の命日であり、葵祭で御所のあたりが一時通行止めになる日であり、 うっすらと沖縄本土復帰の日であるというあたりまでは記憶にあったが、イスラエルが独立を宣言してパレスチナ難民が生まれた「ナクバ(大惨事)の日」だとは気づかなかった。それが1948年だったのだから、今年はそれから70周年だったのだということ(ということはイスラエル建国70周年だということ)も頭から抜けていた。そんな日を狙って大使館をエルサレムに移したトランプ大統領の意図は推して知るべし、だな、と思いつつ、国内ニュースのヘッドラインを見て絶望的な虚しさに駆られる。

 そんなときに手にしたのがこの本だった。

 世界を見る視点を、日本から中東にシフトさせる。そうすると見えてくる景色は、アメリカがイラク戦争によってこじ開けてしまった地獄の釜の蓋から次々と噴き出してくる、混乱と無秩序であり、収まる気配のない戦闘であり、それによって生み出される移民と難民とテロであり、加速度的に世界が不安定化し不寛容が広がる中で、19世紀の帝国主義の時代に逆戻りしたかのようなむき出しのパワーゲームとしての国際政治の姿ができあがりつつある、そんな世界である。

 とてもきれいに整理されており、さまざまなキーワードやできごとが次々と関連づけられてゆくことで、すっきりと理解することができた。だからといって、シリアの悲劇は止まらない。パレスチナの叫びは届かない。

 <目次>
第1章 イスラーム国(2014年~)
第2章 イラク戦争(2003年)
第3章 9.11(2001年)
第4章 アラブの春(2011年)
第5章 宗派対立?(2003年~)
第6章 揺れる対米関係(2003年~)
第7章 後景にまわるパレスチナ問題(2001年~)
終 章 不寛容な時代を越えて

9.11後の現代史 (講談社現代新書)

9.11後の現代史 (講談社現代新書)

 

 (こ)

窪 美澄『じっと手を見る』(幻冬舎)

デビュー作『ふがいない僕は空を見た』は強烈だった。過激な描写,リズミカルな文体。山本周五郎賞を取り,本の雑誌ベスト10の1位に選ばれ,本屋大賞も2位に入り,果ては映画化されてトロント国際映画祭に正式出品された。その結果,・・・2作目以降も似たような作風が続いた。

その窪美澄が,少し,殻を破り始めたのかもしれない。幻冬舎から出た新刊,『じっと手を見る』。

地方の専門学校を卒業し,高齢者の介護士をしている女性・園田日奈(ひな)と,その周囲の人たちを描く連作短編集である。序盤はいつものような描写が続くし,短編ごとに主人公が入れ替わる手法も見慣れた感がある。しかし,本作品には,さびれた地方都市,介護の現場,親の都合で振り回される子供,そして,避けては通れない「高齢者の死」など,様々な問題がさりげなく織り込まれている。そのような中で,日奈を始めとする登場人物らは,いずれも悩み,流され,とらわれ,とまどいながらも,人生を選択していく。

この本のオビには「忘れられない恋愛小説」とあるが,どうなんだろう。僕にはこの本は,もはや「恋愛小説」にとどまらない,人というものを少し掘り下げて描いた作品であるように感じられた。ちょっと大げさかもしれないけれど。

じっと手を見る

じっと手を見る

(ひ)

鷺沢萠『ウェルカム・ホーム!』(新潮文庫)

 大先生オススメの『そして、バトンは渡された』を読んで、ほっこりと余韻にひたりながらふらっと入った西院駅前のブックファーストにて、「Push! 1st.」と称してブックファーストのイチオシ本を紹介するコーナーを見つける。
 『そして、バトンは渡された』の隣に、家族の本ということで、どっちも読んでね、と言わんばかりに並べられ、黄色い帯が巻かれていた。
 鷺沢萠さんが亡くなって、ずいぶんと経つ。久しぶりに読んでみようかと思い、500円払ってジーンズのポケットに突っ込み、そのままバスに乗る。

 2つの血のつながっていない家族の話。
 渡辺毅は、親友の松本英弘と息子の憲弘との3人暮らし。家も家族も失った毅は、松本家に住み込んで家事一切を取り仕切っている。そこへ毅の彼女の美佳子も加わって・・・。
 児島律子の職場にある日、別れた夫の連れ子であった聖奈と結婚しようという、拓人という見知らぬ男性が訪れる。彼の家の近くの寿司屋に連れられて、聞いた話は・・・。

 ほっこり。
 なるほど、『そして、・・・』の隣に並べたくなる本である。
 巻末に、三浦しをんと小山鉄郎のダブル解説つき。

ウェルカム・ホーム! (新潮文庫)

ウェルカム・ホーム! (新潮文庫)

 

 (こ)

村山由佳『風は西から』(幻冬舎)

過労自死をテーマにした小説である。村山由佳『風は西から』。

大手居酒屋チェーンに就職した健介は,若くして繁忙店の店長を任されるが,そこで待ち受けていたのは,尋常ではない業務量と,心が折れるほどの叱責だった。彼女の千秋は,そんな健介を心配しつつも,「頑張って。健ちゃんなら,乗り越えられるよ。」と伝えたが・・・。

重い小説である。健介の,そして千秋のつらさがひしひしと伝わってくる。仕事とは,そして会社とは,こんなにも人を軽んじられるものなのか。実際にあった事件を参考にしているせいもあってか,小説とは思えないほどのリアリティが感じられる。

どこを向いてもつらい状況なのだけれども,一方で,千秋を取り巻く人たちは皆,優しい。それぞれの立場で千秋に理解を示してくれる。これはこの小説に差し込む唯一の「光」なのかもしれない。

こんなにも重い小説であるにもかかわらず,読後感はいい。読んでよかったと思える作品である。

風は西から

風は西から

(ひ)

角田光代『私はあなたの記憶のなかに』(小学館)

1996年から2008年までの間に発表された8本の短編をまとめたもの。

タイムカプセルに閉じ込められた「角田光代」を掘り出して味わう作品集。

個人的感想を述べれば、最初の「父とガムと彼女」がすごくよかったので、期待して読み進めたのですが・・・「記憶」というテーマで再編集したことでかえって、メリハリを失わせてしまったような気がします。

私はあなたの記憶のなかに

私はあなたの記憶のなかに

 

 (こ)

木皿 泉『さざなみのよる』(河出書房新社)

脚本家の夫婦ユニット・木皿泉の5年ぶりにして2作目の小説である。『さざなみのよる』。

43歳の女性・小国ナスミと,彼女の周囲の人々とを描く連作短編集である。NHKのお正月ドラマ「富士ファミリー」のスピンオフ作品なのだが,見ていなくても読める。というか,そもそも僕も見ていなかった。主人公のナスミは小泉今日子で,姉の鷹子は薬師丸ひろ子で,笑子ばあさんが片桐はいりなのだそうだが,言われてみると確かにそんなキャラである。

それにしても,小説家としてのデビュー作『昨晩のカレー,明日のパン』もそうだったが,木皿泉の視線は優しい。人生,つらいことも落ち込むこともあるけれども,「それでいいんだよ。」と,そっと背中を押してくれる。

今度はまた,スピンオフ作品ではなくて完全新作を読みたい。何年後になるのか分からないけれど。

さざなみのよる

さざなみのよる

(ひ)

吉本ばなな『キッチン』(福武文庫、角川文庫)

 義父が亡くなった。長くはないとは言われていたものの前の日まで元気だったのに、容態が急変して、あっという間に心臓が停止した。
 夜伽で義父とワインを傾けたりしながら(寝たけど)、ひととおり葬儀も済んで、家族でファミレスに繰り出した。
 無性に肉が食べたくなって、がっつり食べた。

 なぜかそこで、20年以上前に読んだ『キッチン』が脳裏をよぎった。

 京都に戻ってきて、アマゾンで取り寄せて、読んでみた。
 目の前の死と、瑞々しい生とが、キッチンを介して交錯する。静かに、食べる。サラダ食べてコーヒー飲んで、カツ丼を食べる。
 10代の感性はあのとき彼女のデビュー作に激しく共鳴したのだけれど、40代の心は言葉のひとつひとつを静かに染みこませるのだった。

キッチン (角川文庫)

キッチン (角川文庫)

 

 (こ)