知念実希人『放課後ミステリクラブ 1 金魚の泳ぐプール事件』(ライツ社)

平安時代という沼にどっぷりハマっているうちに、気が付けば本屋大賞の季節になっていた。とりあえず何か読むか・・・と思っていたところ、目についたのがこちら。知念実希人『放課後ミステリクラブ 1 金魚の泳ぐプール事件』。

本屋大賞の常連ともいうべき知念実希人が、初めて書いた児童向けミステリである。と同時に、本屋大賞史上、児童書として初のノミネート作品でもある。地方(明石市)の出版社が手がけた本のノミネートという点でも、話題となった。

児童向けらしく、人の死なないミステリとなっている。とはいえ内容は本格派。冒頭で謎が示され、次いで主人公たちの紹介。ミステリといえば「ホームズとワトソン」のように2人組が定番だが、本作は男女とりまぜた3人組としているところが目新しい。

終盤にはお約束の「読者への挑戦」。作品中、ミステリの「古典」ともいうべき作品がいくつか出てくるのも何だか嬉しい(巻末でも改めて取り上げている。)。

人生で最初に手に取るミステリとして、なかなかよいのではないだろうか。

知念実希人『放課後ミステリクラブ 1 金魚の泳ぐプール事件』(ライツ社)


(ひ)

青山美智子『リカバリー・カバヒコ』(光文社)

作品の波長というものがあって、それが文体なのかストーリー展開なのかわからないけれど、波長が合うのか読んでいて細胞レベルで落ち着く作品というものがある。
自分にとっては、それが青山美智子さんの作品である。だから本ブログで自分が紹介したものの中で、登場回数がいちばん多いのではないかと思われる。

青山作品は、『赤と青のエスキース』でちょっと異彩を放ったけれど、基本は同じ路線である。
本作もそうで、公園のボロボロになったカバの遊具をめぐる同じマンションの住人たちの、5つの回復の物語(泰斗の頭、紗羽の口、ちはるの耳、勇哉の足、和彦の目)。「カバヒコ」と呼ばれるこの遊具に触れると、治したいところが回復するというのだ。

「人呼んで、リカバリー・カバヒコ。・・・カバだけに。」

 

今回も、たっぷり癒されました。

本屋大賞ノミネート作品。今年は、あの成瀬が立ちはだかる。

(こ)

関 幸彦『刀伊の入寇』(中公新書)

せんせいが『戦争の日本古代史』を推してきたということで、こちらはこれを紹介。関 幸彦『刀伊の入寇』。

藤原道長政権下の1019年、対馬壱岐と北九州沿岸が女真族によって襲われる。この平安時代最大の対外危機ともいえる「刀伊の入寇」について、その背景から経緯、後世に与えた影響までを解説した本である。

防衛に当たったのは、藤原道隆の子・隆家。道長の甥に当たる。有力武者を統率して奮闘し、これを撃退するも、死傷者や拉致被害者は多数に上った。

本書はこの「刀伊の入寇」につき、日本側の軍制史という視点からも論じているのが興味深い。律令軍団制の形骸化と、軍事官僚ともいうべき新しいタイプの中下級官人の出現。そして、新羅海賊の度重なる侵攻と、これへの対応策としての俘囚(中央政府に帰順した蝦夷)の西国防衛への転用。そのような中で、「刀伊の入寇」は起こった。

当時の被害者の生の声も複数残されており、本書でもその一部が引用されている。特に、刀伊軍に拉致され、後に高麗船に助けられて帰還した女性の証言は、時を超えた臨場感があり、生々しい。

何にせよ、平和が一番である。

関 幸彦『刀伊の入寇』(中公新書


(ひ)

倉本一宏『戦争の日本古代史』(講談社現代新書)

藤原道長関係で倉本先生の本を先日検索したからだろう、この本がおすすめリストの中に並べられたので、少し古い本(2017年)だがタイトルにつられて購入。

買ってよかった。

中学生のころ、白村江の戦いで倭が大敗したのに、なぜ戦争指導者たちはクビにならなかったのか不思議だった。その謎を今ようやく解いてくれたのが本書である。

白村江の戦いには前史があって、古代朝鮮半島には長らく三国(高句麗新羅百済)と小国の分立する加耶諸国があり、倭は三国の対立にしばしば割って入る形で半島に影響力を及ぼしながら、加耶から鉄を輸入するなどしていた。そうした中で、倭は三国の戦争に巻き込まれる。その結果が、高句麗好太王との戦いにおける大敗であった(この大敗で倭は「馬」の軍事的重要性を痛感したらしい。ウマという日本語は中国語の「マ」であり、駒(コマ)は「高麗」である)。

その後、加耶をめぐる新羅百済の争いの中で、倭は百済との関係を強めつつ、宋がなぜか倭「王」と認めたりしたこともあって、朝鮮半島から「調」を受け取るというタテマエが幅を利かせるようになった(向こうにしてみればお土産を渡す程度の意識だったにしても、こちらからは相手が朝貢してきたように振る舞った)。

知らなかったのだが、古代では、他国を占領すると、その兵団を国内で抱えておくわけにはいかないので、厄介払いのためにその兵を使って海外遠征する。うまくいけばそこに居座らせ、失敗しても口減らしができるからだ。隋の高句麗遠征もしかり、実は蒙古襲来の江南軍もそうした兵たちであったという(そりゃ弱いはずだ)。

さて、高句麗遠征に失敗した隋は滅び、続く唐もまた三国の戦いに介入する。高句麗百済と結び、さらに倭とも良好な関係をつくる。対して新羅は唐と結んだ。こうした中で百済新羅に侵攻され、王や貴族が国を離れる。百済からの支援要請を受けた倭は、3度の援軍を派遣する。こうして倭は「世界大戦」に巻き込まれていくのであった。

ここで冒頭の疑問が明らかになる。なぜ戦争を指導した中大兄や鎌足がその後も指導者として君臨できたのか。筆者はいくつかの仮説を立てる。対外戦争によって強力な中央集権体制をつくりあげることが目的だったのではないか、そして白村江の戦いの後も唐や新羅の侵攻に備える非常事態が継続させて国家改造を実現しようとしたのであれば、中大兄たちは最初から勝てなくてもよかったのではないか(もちろん勝つ可能性はあるという判断があったから出兵したのだろうが)。

その後、朝鮮半島への出兵にそなえて東国から兵を募っていたところへ、大海人が吉野を脱出してその兵を奪い、一気に近江の大友を攻略する。西国は白村江の戦いで疲弊し、しかも九州の守備隊を畿内に抜くことは安全保障上できなかった。大海人の完全な勝利である。

そして天武と持統が完成させたのが、律令国家である。しかし、律令国家というのは軍事国家であり、厳しい税負担と兵役はそのためである。律令国家が日本で長続きしなかったのは、北東アジアに和平がおとずれたことで、戦時体制が不要となったこともあるらしい。

その後、藤原仲麻呂新羅出征計画、新羅・高麗との敵対、刀伊の入寇(ここで道長も実資も登場)、と話は進む。この過程で、日本は「東夷の小帝国」を自覚するようになる。すなわち、中華帝国冊封を受けず、アイヌや北方民族から琉球を(小)帝国の秩序の内に収め、朝鮮半島もまた入朝する蕃国のひとつとみなすようになる。

この世界観はずっとこの国の歴史認識にも影響を与え続けている。秀吉の出兵もそうだし、近代の朝鮮政策もそうである。とりわけ「中国未満朝鮮以上」を自負してきた日本が当然のように、「中国未満日本以上」を自負してきた朝鮮を植民化したことが、相手にもたらす屈辱感は、いかほどのものであったか。

本書はこうして、白村江の戦いを中心に、古代北東アジアのパワーゲームと日本(倭)の内政問題の間を行き来しながら、近現代にまでつながる「対外戦争の日本史」の根底に流れる「異国観」を、丁寧な史料読解にもとづいて浮かび上がらせている。

目からウロコが落ちました。

(こ)

外山薫『君の背中に見た夢は』(KADOKAWA)

 大先生、ごめんなさい、週末いろいろとあって、PCの前に座れませんでした。

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 今週読んだ中で澱のように残っているのが、この本である。それはいい意味でというよりも、後味の悪さのせいだと思う。

 お受験小説といえば、城山三郎の『素直な戦士たち』が思い浮かぶ。子どもを東大に入れようというスーパー教育ママによって、「最高の英才」に育て上げられようとする長男と、それに付き合わされる夫、そして放ったらかしの次男の話。読書の予想を裏切らず、妻も長男も壊れてしまうのだが、最後はほっこりと救われる。
 同じお受験小説でも、本書にはそれがない。ひたすら小学校受験に向けてすべてをなげうって奔走する複数の家族の姿が、隣に立って見ているように淡々と描かれる。高年収夫と専業主婦の妻、代々慶應卒の家、パワーカップル、それぞれの家庭が必死にお受験に取り組み続ける。その描写には「これはフィクションなのだ」という逃げ場がなく、息苦しい。そして、細木数子のように上から目線で受験生の親を操るお受験塾の塾長は、受験産業新興宗教と同じようなものだと白状しているようなものだ。
 これが東京の姿かと思うと、気持ち悪くなる(実際に義妹が東京都中央区に住んでいて、お受験する保育園ママ友の話を聞くと、そういうものらしい)。

 文芸論になってしまうが、これははたして文学といえるのだろうか?
小説神髄的にはそうなのかもしれないけど・・・でもなぁ・・・)


 著者の外山薫氏のプロフィールは、1985年生まれ、慶大卒、としか書かれていないが、タワマン文学の「窓際三等兵」の中の人なんだとか。

(こ)

神野 潔『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(日本能率協会マネジメントセンター)

・・・せんせい大丈夫~?

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4月からの朝ドラ「虎に翼」。先日、メインビジュアルが公開された。法服を身にまとった主人公(しかも戦前の法服!)。これだけでもテンションが上がる。

さて、このドラマの主人公にはモデルがいる。三淵嘉子(みぶち・よしこ)さんである。日本で初の女性弁護士の1人であり、初の女性判事であり、そして初の女性裁判所長となった方。もっとも僕もそのくらいしか前提知識がないので、ちょっと評伝を読んでみることに。神野 潔『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』。

・・・波乱万丈の人生じゃないですか。

父・貞雄の赴任先のシンガポールで誕生。「嘉子」という名前は、シンガポールの漢字表記「新嘉坡」から一字を取ったという。やがて帰国し、青山師範学校附属小学校、東京女子高等師範学校附属高等女学校を経て、明治大学専門部女子部法科に周囲の反対を押し切って入学。

そして、昭和8年、弁護士法が改正され、それまで「成年以上ノ男子タルコト」とされていた弁護士資格が改められて、女性でも弁護士になることができるように。とはいえ、女性が弁護士になるには、まだまだハードルの高い時代であった。

・・・とまあ、書いていけば切りがないのだけれど、このあと嘉子は高等試験司法科(現在の司法試験)に合格し、修習を経て弁護士になる。一度目の結婚と長男の誕生、そして太平洋戦争と夫の死。司法省・最高裁判所での勤務と、判事補任官、そして女性初の判事へ。長男を連れての転勤生活、そして二度目の結婚・・・などなど、どこをとってもドラマチックな人生である。

今年(令和6年)採用された判事補81名のうち、女性は約42%(34名)を占め、新任判事補の女性比率は過去最高となった。嘉子が判事補になってから70年あまり。時代は少しずつ、だが着実に変わっていく。

神野 潔『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(日本能率協会マネジメントセンター


(ひ)

繁田信一編『御堂関白記』(角川ソフィア文庫)

紫式部紫式部日記」、道綱母蜻蛉日記」、行成「権記」、実資「小右記」と読んできた日記シリーズ。いよいよラスボス、藤原道長御堂関白記」の登場である。さすがに分量が多いので、これも「ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」シリーズで読むことに。

かっちりと客観的事実を記録する行成「権記」や、細かいけれどグチも多い実資「小右記」と比べ、この「御堂関白記」は、何だかざっくりとしたメモ書きのようなものが目立つ。

例えば長保元年9月20日の日記は「今朝初霰降」(今朝、初めて霰(あられ)降る)の5文字だけ。長保2年1月14日に至っては「無殊事」(殊なる事はなし)というたった3文字である。いかにも億劫そうな様子が目に浮かぶ。

基本的に漢文で記されているのだけれど、文法も漢字もしばしば怪しくなる。寛弘8年6月22日、一条天皇崩御の日記には「崩給」(崩じ給う)と書くべきところを「萌給」と誤記。萌えてどうする。わりと大雑把な人だったのだろうか。

かなりの頻度でひらがなや万葉仮名が用いられているのも目立つ。解説には「漢文の読み書きに堪能ではなかった道長は、ついつい話し言葉をそのまま書いてしまうことが少なくなかったのだろう。」(349頁)とある。

日記の節々に出てくる登場人物は、もはやおなじみの面々ばかり。藤原為時もたまに登場(寛弘6年7月7日、寛仁2年1月21日)。今では紫式部の父としてのみ知られる為時も、当時は彼自身が著名な詩人であった。

1000年も前の実質的な最高権力者の日記が自筆で現存しているというのは、これ自体、奇跡に近い。道長の人となりがほんのり伝わる面白い日記であった。

繁田信一編『御堂関白記』(角川ソフィア文庫


(ひ)