柴田三千雄『フランス史10講』(岩波新書)

フランスとドイツとイギリスの制度調査をすることになり,いろいろ下調べをした上,3か国にそれぞれ短期間滞在していたことがあった。

そこで強く感じたのは,ともすれば「ヨーロッパ」とひとくくりにしてしまいがちなこの3か国は,制度だけでなく,歴史も文化も風土も全く異なる国であるという,今にして思うとすごく当然の事実であった。

そして最近,『十字軍物語』とか『独ソ戦』とかを読むにつれ,ヨーロッパ各国それぞれの歴史をちゃんと勉強したいなあ・・・との思いが募ってきた。手始めにフランスの歴史ということにして,とりあえず読んでみたのがこちら。柴田三千雄フランス史10講』。

古代から近現代までのフランスの通史であり,と同時に,筆者の主観・解釈がふんだんに盛り込まれた作品でもある。特に,フランス革命以降の流れは,とても読みごたえがある。

現代というのは,それ自体が独立しているものではなく,長い長い歴史の上に存在しているということが,強く感じられた(これも当然のことではあるのだが)。

フランス史10講 (岩波新書)

フランス史10講 (岩波新書)


(ひ)

山本周五郎「失蝶記」(『日日平安』新潮文庫、『幕末物語 失蝶記』講談社文庫)

 谷川主計と杉永幹三郎は小さい頃からの無二の親友である。ある日、谷川は大砲の暴発事故で聴力を失う。その谷川に近づいてきたのが、倒幕に向けて彼と志を同じくする梓久也だった。梓の導きで佐幕派の重鎮・真壁を暗殺しようとした谷川であったが、そこにいたのは親友の杉永であった・・・。

 山本周五郎によるこの短編時代劇の傑作を下敷きとして成井豊真柴あずき演劇集団キャラメルボックスの20周年記念全国ツアーに向けて書き下ろしたのが「TRUTH」である。
 上田藩士の弦二郎は鉄砲の暴発事故で聴力を失ってしまい、闇夜に親友・英之助を誤って斬り殺してしまう。しかしそれは藩内の陰謀によるものであった。
 「失蝶記」では、谷川と梓の決闘が始まる直前に話は終わり、勝負の結果は読者の想像にゆだねられる。「TRUTH」は違う。決闘に勝利した弦二郎は鏡吾を殺さず「どんなに苦しくても、生きろ」というメッセージを残して、昇る朝日の中で幕が閉じる。

 今年の文化祭での演劇では「TRUTH」を上演しました。激動する時代の荒波に巻き込まれながらも、友情を胸に必死で生き抜いていこうとする若者たちを堂々と演じきった生徒たちに、会場からは惜しみない拍手が浴びせられました。

 (「別冊文藝春秋」1959年10月掲載作品)

日日平安 (新潮文庫)

日日平安 (新潮文庫)

 
TRUTH (CARAMEL LIBRARY)

TRUTH (CARAMEL LIBRARY)

 

(こ)

『天気の子 公式ビジュアルガイド』(角川書店)

映画は2回見た。パンフレットも買った。小説版も読んだ。アルバムもダウンロードした。ウェブ上に公開されている監督のインタビューも片っ端から読みまくった。

そして今回,『天気の子 公式ビジュアルガイド』が発売された。もちろん,すぐに読みました。

映画の各場面はもちろんのこと,監督・キャスト・スタッフの各インタビュー,作品の制作過程,キャラ設定・背景画などなど,本作品について余すところなく盛り込んだビジュアルガイドブックである。

個人的には,RADWIMPS野田洋次郎のインタビューが良かった。もう,新海誠の作品作りに欠かせない人になっているんだな。

「最大多数の最大幸福」という社会的・哲学的テーマを強くにじませながら,同時にエンタメ映画としても成立させたこの映画。もし時間が許すのであればあと1回くらいは映画館で見ておきたい(さすがに無理か)。


(ひ)

青山美智子『猫のお告げは樹の下で』(宝島社)

 おもしろい本が読みたいなぁ・・・とぼんやり考えながら、いつもと違う道を歩いて帰ろうとすると、大きなタラヨウの樹のある神社があった。こんなところに神社なんてあったっけ、と思ってふらりと入ってみると、足元に1匹の猫がやってきた。黒くて、顔の額から鼻にかけて白い、ハチワレの猫だ。お尻には白い☆の模様がある。「なぁ、何かおもしろい小説、知らない?」と猫に話しかけてみると、猫は目を細めた(笑った?)。そして猫はタラヨウの樹の周りをくるくると走り出し、ピタリと止まって樹に左足をかけた。1枚の葉が頭の上に落ちてきた。「オツゲ」と書いてある。「?」。猫の姿はあっという間に見えなくなった。作務衣を着た宮司さんが竹ぼうきを持ってやってきた。「どうされましたか?」「この葉っぱ、猫が・・・?」「あなたは運がいい。ミクジに会ったんですね」「ミクジ?」「そうです。その言葉はあなたへのお告げです。どうぞ大切になさってください」
 家に帰って、アマゾンで買い物をして、ついでにいろいろ眺めていたら、『猫のお告げは樹の下で』という本が表示された。「オツゲ・・・!?」思わずポチっと購入ボタンを押した。
 その本によれば、どうやらミクジは、ときどきタラヨウの葉っぱでお告げをしているらしい。失恋した女性には「ニシムキ」と、中学生の娘と仲良くなりたい父には「チケット」と、なりたいものがわからない就活生には「ポイント」と、頑固おやじには「タネマキ」と、転校先でクラスになじめない男の子には「マンナカ」と、漫画家への夢をあきらめきれない主婦には「スペース」と、悩める占い師には「タマタマ」と・・・。宮司さんもこのあいだミクジから葉っぱを受け取ったらしい。
 ミクジが導く、7つのやさしい物語。8つ目の物語は、ぼくのこの本との出会いなんだろう。

猫のお告げは樹の下で

猫のお告げは樹の下で

 

 (こ)

塙 宣之『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』(集英社新書)

2001年に始まった漫才コンクール「M-1グランプリ」。ここしばらくは見ていなかったのだが,昨年,本当に久しぶりに見た。
ずいぶん知らない漫才師が増えていた。
とはいえ,お笑いでありながら,このひりひりする感じ。変わってないなぁ。

そのM-1グランプリについて,漫才師・ナイツの塙が本を出しました。『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』。

「大阪は漫才界のブラジル」「M-1は100メートル走」など,各章の見出しだけ見てもパワーワードが並ぶ。M-1グランプリ,さらには漫才の世界を語りつつも,その本質はちょっとした文化論でもある。

今年もまた見てみようかな。


(ひ)

 

大川周明『米英東亜侵略史』(土曜社)

 日本時間1941年12月8日、日本軍はハワイ真珠湾マレー半島を奇襲し、対米英開戦に踏み切った。緒戦の大勝利に日本中は歓喜した。本書はその興奮の真っただ中、12月14日から12日間にわたって行われたラジオ放送の速記であり、「大東亜戦の深甚なる世界史的意義、並びに日本の荘厳なる世界史的使命」を国民に訴え、「国民がすでに抱ける聖戦完遂の覚悟を一層凛烈にし、献己奉公の熱腸を一層温め」ようとしたものである。
 放送の前半6回は「米国東亜侵略史」であり、ペリー来航から日米開戦にいたるまでの経緯を歴史的必然として描写する。後半6回は「英国東亜侵略史」として、「偉大にして好戦」なるイギリス国民が、アジア侵略を重ねてきて、いよいよ日本と衝突するまでを、こちらもまた歴史の必然という文脈において解説する。
 大川博士も気分が高揚していたのだろうか、「敵、北より来れば北条、東より来れば東条」という軽口も飛び出す始末。「元寇の難は皇紀1941年であり、英米の挑戦は西紀1941年であります。」などと、あちこちに神州・日本の卓越性と不滅性を意識した講演内容となっている。

「熟々考え来れば、ロンドン会議以後の日本は、目に見えぬ何者かに導かれて往くべきところにぐんぐん引張られてゆくのであります。この偉大なる力、部分部分を見れば小さい利害の衝突、醜い権力の争奪、些々たる意地の張合いによって目も当てられぬ紛糾を繰り返している日本を、全体として見れば、いつの間にやら国家の根本動向に向って進ませて行くこの偉大な力は、私の魂に深き敬虔の念を喚び起します。私はこの偉大なる力を畏れ敬いまするが故に、聖戦必勝を信じて疑わぬものであります。」(67頁)

 当時の時代の空気がよくわかる。それと同時に、「日本は悪くない、外国が悪い」というこのおめでたいストーリー、最近とみによく聞くようになった。気になる。

米英東亜侵略史

米英東亜侵略史

 

 (こ)

大木 毅『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』(岩波新書)

ちょっと話題になっている新書ということで,読んでみた。大木 毅『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』。

1941年6月22日,ドイツ軍がソヴィエト連邦に侵攻。以後,1945年まで続いた独ソ戦。戦闘のみならず,ジェノサイド,収奪,捕虜虐殺が展開され,戦闘員だけでソ連側約866万人~1140万人,ドイツ側444万人~531万人(ただしドイツ側は他の戦線も含む)が死亡した,「あらゆる面で空前,おそらくは絶後」(「はじめに」より)とされる壮絶な戦争である。

本書は,独ソ戦を悲惨ならしめたのは,ドイツおよびソヴィエト連邦の双方がこの戦争を「世界観戦争」,すなわち絶滅戦争ととらえたところにあるという。ドイツ側にとっては,この戦争は「人種主義にもとづく社会秩序の改変と収奪による植民地帝国の建設」をめざすというものであり,ソ連側にとっては「イデオロギーナショナリズムを融合させることで,国民動員をはかった」ものであって,これにより,史上空前の殺戮と参加をもたらした,とのこと(220頁~221頁)。

戦後のソ連においては,大祖国戦争という「神話」を維持するため,都合の悪い史実は隠された。また,戦後のドイツにおいても,対ソ戦の責任はもっぱらヒトラー個人に押し付けられ,やはり都合の悪い史実は隠された。これらの「仮構」は,歴史研究が進み,また冷戦終結による国民意識の変化により,近年になってようやく崩され始めたという。本書もその成果の一つである。

歴史を学ぶことは,我々にとって重要な責務である。

独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 (岩波新書)

独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 (岩波新書)


(ひ)